組織づくりのノウハウを生かし、地域の調整役を担っていく。

丸岡城の秋をいろどる最大のイベント、丸岡古城まつり。今年は残念ながら台風で中止となりましたが、たくさんの人が訪れる催しであり丸岡町が多いに盛り上がる日です。昨年まで実行委員会の委員長を5年間務めた武川さんに、丸岡城の魅力や地域活動について話していただきました。

丸岡城天守を国宝にする市民の会 理事、丸岡古城まつり実行委員会 顧問 武川成年さん(65歳)

活動内容について

老若男女が参加できるように、
調整役として組織を運営する。

毎年10月に盛大に開催される「丸岡古城まつり」は、今年で51回目を迎える歴史あるイベントです。鎧を身にまとった武将や人形山車、子ども奴など400名が丸岡城の周りを練り歩く五万石パレード。1400人もの人々が参加する総踊り。丸岡城が賑わう秋の風物詩です。

今から6年前の第45回の時、それまで行政主導だったイベントを「自分たちの手でやりたい」と若者が立ち上がり、古城まつりの「もりあげ隊」を結成しました(Interview05参照)。しかし、新しい挑戦には困難がつきものです。行政や各種団体と若者の連携がうまくいかない時もありました。そんな時、全体の調整役となったのが武川さんでした。

「地域を盛り上げるためには、いろんな人が参加できるようにすることも大切です。そこには若者と行政、地域との調整役が必要。自分たちの年代がその調整役を引き受けなければいけないと思いました」

それまでの実行委員長は地区長の持ち回りで1年交代でしたが、一貫して活動できるトップが必要という話になり、第46回の委員長を務めた武川さんが続投することになりました。こうして、古城まつりの第46回から50回まで5年間にわたり実行委員長を務めました。

それまで青年会議所や学校のPTA、交通安全協会や商工会など、さまざまな組織の運営に携ってきた武川さん。地域の組織運営に長けているからこそ、どういった調整が必要なのか見えていました。

「若者だけでなく老若男女が参加できるように工夫し、丸岡城付近の地区だけでなく他の地区にも声をかけ、1300人超が参加するようになりました。我々の年代が、調整役を引き受けるのがよいと思います」

こうして古城まつりは少しずつ参加人数が増えていきました。武川さんは今年からは実行委員長を退き、顧問としてサポートしています。

丸岡城は故郷のシンボル。
価値を共有できることが大切。

武川さんが丸岡にUターンしたのは28歳。関西で学生時代を送り、関東で社会人として働き、家業である繊維会社を継ぐために帰ってきました。丸岡に戻り青年会議所に入ったことが、自分が変わるきっかけだったそうです。

「高校生の時に生徒会に入り、組織を動かす面白さに目覚めたことも一つの基盤となっています。JCで組織づくりのノウハウを学んだことが、いまの地域活動に生かされています」

JCでの活動を通して地域ボランティアの必要性を感じ、それがベースとなりPTAをはじめとしたさまざまな地域活動へとつながっていきました。そして今も、数多くの地域団体で要職を務めています。

武川さんにとって丸岡城はどんな存在かと尋ねると「故郷のシンボル」という言葉が返ってきます。県外で暮らしていた時、武川さんは丸岡城を故郷のシンボルだと実感したのだそうです。

「丸岡に帰って来る道すがら、遠くから徐々に丸岡城が見えてくるんですよ。その景色を見て『ああ、帰ってきたんだな』と感じるんです。まさしく故郷のシンボルです」

昔は現在の図書館の場所に丸岡高校があり、校舎からも天守閣が見えました。放課後にはよく遊びに行った青春の地。自宅からも見える丸岡城は、子どものころは遊び場でした。そして故郷を離れて暮らしている時もずっと心の中にありました。誇れる故郷のシンボルがあるということは大切なことだ、と武川さんは語ります。

「大人になって、周囲の人と価値を共有できるものがあるというのは幸せなことだし、豊かなことです。それは子どもの人間形成においても大切なこと。この価値を拡大して地域に根付かせたいです」

同じものを見て育ち、同じものを誇りに想う仲間がいる。それは暮らしに潤いを与える大きな要素です。一部の角度からだけではなく、この町のどこから見ても丸岡城が見えるようになるといいなと思っているそうです。

「丸岡城に日本のお城の原風景を感じるんですよ。城の在り方そのものに日本の城の原型が見て取れることは、築年数より大切なことだと思います」

ないものは仕方がない。
新たに文化を築いていく。

丸岡城を目当てに訪れる観光客の多くは、周辺に城下町が広がっていると思ってやって来ます。けれど丸岡を震源とした昭和23年の福井大地震で、丸岡の街は焼失してしまいました。そのため歴史的建築物がほとんど残っていません。

「ないものは仕方がない。再建できないからこそ、今ある天守閣のありのままの魅力に気づき、伝えることが重要です。ただ天守閣があるだけでは難しく、観光客に満足してもらう仕掛けや施設が必要です」

ないなら作る。現在、計画が進んでいる城小屋もその一つです。観光客だけでなく地元の人にも利用してもらい、丸岡城の価値を知ってもらう場になればと武川さんも期待を寄せています。

とはいえ、丸岡城から離れたエリアでは、それほど丸岡城への関心は高くありません。そういう地区では古城まつりに対しても「なぜ参加しないといけないのか」いう意見も出ます。

「それでも、丸岡全体のまつりとしてみんなで盛り上げて、それを子どもたちに伝えていくことの大切さを一緒に考えたい。30年先だけでなく、50年、100年先を見据えて動いていきたいです」

地域の調整役としてさまざまな組織を支えながら、子どもたちの未来の先を見据えて、武川さんは今日も走り回ります。地域を支えるのは人と人。だからこそ、組織運営を支える調整役は地域に欠かせない存在です。